forget-me-not

昨日の夜ふと思ったこと。春が来るのが怖かったのは、すきなひとがとてもとても遠くに行ってしまうからだった。いままでみたいに会いたいときに会える距離じゃないから、わたしの唯一の拠り所だったあのひとがいなくなることが、とても怖かった。でも、彼がいない生活は思った以上にしっくりきていて、何も不便がない。その事実に昨日の夜ふと気付いた。でも今日の夢にはすきなひとが出てきて、その内容はわたしがともだちとごはんを食べに行った店先で偶然彼に出会うという夢だった。彼はわたしを見つけると、周りの目を気にせずとてもやさしい目でわたしの頭を撫でた。わたしは少し膨れていて、素直に何も言えなかった。そんな夢を見るということはやっぱりまだこころのどこかで彼を想っているのかもしれない。抑圧された意識のなかのわたしは彼に会いたがってる。

こんな夢を見たからメールをしたくなったけれど、今日はやめとくことにする。きっと彼も仕事で大変だろうから。元気でいてくれるならそれでいい。わたしのことを覚えていてくれるなら、もう十分。

「たいせつなものは少なくていい」

東京経由の福井遠征は予想以上に楽しくて、リアルとヲタクを天秤にかけなくちゃいけないことが鬱で鬱でしょうがなかったんだけど、こたきに会ったらそんな気持ちが一気に吹っ飛んだ。一時的な現実逃避なのかもしれないけれど、わたしにとってウエストはやっぱりきらきらの源なんだとおもいます。なくたって生きていける、って思っていたけれど、実際のところ自分の周りにはなくたって生きていけるものだらけだと気付いた。ほんとうになかったら生きていけないものってなんだろうって考えたら命くらいしか浮かばなかった。パソコンだって携帯だって、いまはなかったら死んじゃう〜〜〜って思うけれど、昔はパソコンも携帯も持っていなかったけどぴんぴんに生きていたし。ただ少し贅沢になってしまっているのと、バランスを崩しかけているだけ。じゃにーずだって、いまみたいに全力で追いかけないでゆるりとヲタクしてるくらいなら勉強にだって支障出ないとおもう。天秤にかけずにいられない状況に自分を追いやっているのは紛れもなく自分自身なので、悩みたくないならバランスを取り戻せばいい。

たいせつなものは少なくていい、と言っていたすきなひとの言葉がいまとても身に染みる。あの頃のわたしはたいせつなものが多過ぎてどれも捨てきれなくて必死に重みに耐えながらよろめいていた。すきなひとがいつも飄々とわたしの前を進んで行けるのは、たいせつなものがそんなにないからだ。でもその分、自分がたいせつだと思うことに時間や思いを注ぐことができる。「一度全部捨ててみたら」って言われて、荷物をそっと下ろした日からわたしもたいせつなものが増えるのがどんどんこわくなって自分の世界に閉じこもった。自分を揺さぶられるのはもう懲り懲りだ、って。そんなわたしが、現在過去未来顧みずに一生懸命追いかけているのがまさかのじゃにーずって話。

バランスを取り戻せばいいと気付いたから、じゃあ次はそのためには何が必要かっていうのを考えるターン。いまのわたしに一番大切なものはなんだろう。どうしても捨てられないもの。優先順位を考えるんだ。

選んできた道のりの正しさを祈った

最近にっき書いても内容消えちゃうことが多くてかなしい。ここ数日で2回も書いたのに消えちゃったので、書きなおす気も起きないし嫌になってそのままパソコンを閉じてしまった。今日は消えないことを祈ろう。って言ってももやもやした気持ちを落ち着かせるためのにっきで、みているひとにはあまり気持ちのよいものではないかもしれない。

自分にとってじゃにーずは娯楽で、生きていく上に必要不可欠!なものにはしたくないってずっと思ってる。一度ここにも書いたとおもうけれど。あれば潤うけれど、なかったら生活できないってほど依存したくない。わたしにとって、重要な位置を示すのは大学院での勉強や研究であって、決してじゃにーずではない。と、分かっているのだけれど、わたしのなかでどうもコントロールができないということが明らかになってきている。西日本ツアーの振替が決まっていろいろ考えていたんだけど、徳島福岡名古屋ぜんぶに行くのは正直無理だとおもう。春休みだったから可能だったけど、4月や5月に食いこまれるときつい。大阪全ステするし、中止になる予定だった公演行かなくてもきもち的には十分なはずなのにいろいろと諦めがつかない〜〜〜〜っていうのは、名古屋でガラガラな客席を見せたくないってとっても利己的な気持ちと、わたしが担降りする前に「おーくらくんはもう大丈夫」ってはっきり意識したガイシのステージでかんじゅが、こたきくんがどんなものを見せてくれるか見たいって気持ちがあるから。あけおめの焼き直しだし…って思う反面、初めての名古屋をこの目で見たい、この2つの感情が戦ってる。でも学校のこと考えると明らかにきついんだよね。で、ここで悩んでいる時点でわたしのなかの優先順位や重要なもの(勉強や研究)がじゃにーずと同等だということに改めて気付くわけだよ。じゃにーずなんか追っかけてたって就職できないよ!っておもうし、この2年間は我慢するべきだと頭では分かってる。分かってるのに、どうも自分を納得させられない。そんなこと考えてると、わたしにとってこたきくんやウエストってなんなんだろうとか明らかに答えなんて出るはずもない問いが浮かんでくるし、難しいこと考えるの嫌だし、わたしはただこたきくんやウエストがすきただそれだけでいいはずなのに、自分の人生と絡めざるを得ないこの状況にげんなり。うまくリアルとヲタクを切り離して生きたい。

今週末に岩手県臨床心理士会の被災者心理とトラウマケアの研修会があって、そこでお手伝いを先生に急遽頼まれたのだけど、今週末は福井にいるしお断りした。こんさーとがなければ絶対に参加したい内容なのに残念。こんさーとに行くからって研修会の手伝いに参加できないとかどうなのかなあ〜〜〜〜って落ち込む。どーせお手伝いだからお茶出しとか準備くらいしかできないんだけど。こういうどんよりした気持ちになるくらいなら、じゃにーずなんて辞めちゃえ辞めちゃえっておもうけど、そんなに簡単に辞められないよ…14ちゃいの成長は見守りたいもんなあ。これから先どんどん天秤にかけなくちゃいけないことが増えてくるとおもうと憂鬱で仕方ないです。

昔付き合っていたひと

今日は昔付き合っていたひとに会ってきた。中高大学とおなじで、高校は部活も一緒だったので、ときどき何人かで遊んだりする大切なおともだち。彼は勤務先が静岡なので、最後にということでふたりで遊んできた。別れた後にふたりきりっていうのは実ははじめてで、ちょっとどきどきした。別に何をするわけでなく、ふたりとも歌がすきなのでカラオケに行って、そのあとごはんして彼に送られて帰ってきた。他愛もないことしか話さないけれど、でもそういう関係がとても楽で、それはやっぱり昔付き合っていたひとだからなのかもしれない。

別れた理由はお互いが幼すぎたからで、どちらが悪いわけでもなかった。それでも、別れを切り出したのは彼で、そのときわたしは彼をすきだったからとても辛かったことをふと思い出す。縋りついたけれど、前みたいに好きにはならないよ、と言われたあとも2年ほど彼を引き摺った。そのまま大学生になってやっと諦めがついた頃にまたすきだと言われて悩んだ末、結局わたしたちはヨリを戻さなかった。中途半端に付き合って傷付けるのが怖かったから、わたしが彼を受け入れられなかった。きっと大切だったからなのだろう。

いまでも、彼がわたしを何となく大切にしてくれていることは分かっている。すきな人としてなのか友達としてなのか元恋人としてなのかは分からないけれど。最後にばいばいするときに「離れたくないよ」っておちゃらけて言った彼に少し驚いたので、わたしも「じゃあ、就職やめちゃえ!」って笑った。特別だけど、その手を握る勇気はわたしにはないから、いまのいい関係のままでさようならだよ。わたしたちがもしも運命の相手ならきっとまた繋がるときがくるはずだから、無理に繋がろうとしなくていい。これからも大切なおともだち。