自己分析1

自己分析の時間です。重いので畳みます。
わたしはわたし自身のことを考えるのがすきで、小学校の頃からずっといつも自己分析紛いのものをしていた気がする。そんなんだから小学生のくせに既に頭でっかちで同い年の子に対して一歩引いた位置でしか接することができなかった。だから本を読むのが好きだったし、年上のお姉さんやお兄さんが好きだったし、同級生には伝わらない思いをこうやって日記としていんたーねっとで書き溜めていたんだとおもう。別に同級生の子を見下していたわけではなく仲が悪かったわけでもなくて、ただ「わたしの言葉は通じない」とおもっていた。わたしの話す言葉は彼女もしくは彼らにとって違うの国の言葉のようで、どんなに伝えようとしてもただの記号や暗号でしかない。そんなかんじ。小学生に生きていく意味とか生まれてきたわけとか、胸にぽっかり穴があいていてそこから隙間風が吹いてわたしの心を揺さぶる…とか、きっと当たり前のように分かるはずないってことをわたしは幼いながら知っていたから、自分の自尊心を守るためにも同級生にそういった面を見せないで大人になった。

だから秘密主義というかあまりひとにこころの内側を見せないし、どこかでここから先はわたしだけの場所っていうのがある。でもわたしは決してひとがわたしのこころに侵入してくるのを拒否したりはしないし、どちらかというとわたしはひとのこころのドアを開けるのが得意なほうだと自分ではおもってる。自分のこころのドアをノックされたらすぐに開くけれど、実はその奥に隠し扉があるよってかんじ。だから、周りにはわたしのダークサイドに気付かれず、「沙織は人懐っこくてすぐにひとのこころに入り込める」って言われがちだし、大体のひとはわたしのことを好いてくれる。わたしのことを嫌うひとは自分で言うのはなんだけどそんなにいないし、いたとしてもわたしはそのひとに上手に対処できる。ひとから嫌われない理由はわたしが当たり障りのない態度をじょうずにじょうずに相手に取っているからで、しかも周りはその当たり障りのない態度を親切や優しさだととらえがちだから。だから、わたしは周りの人が言ってくれる自分を褒める言葉を素直に受け止められなくて、褒めてくれたひとがいたら「あなたが感じたわたしが、ほんとうのわたしであればいいのに」とおもう。相手に準拠してわたしはわたし像を相手に提供する。

でもひとつも人と繋がることで嘘をついたりはしていないし、わたしが他者に伝える言葉は全て本物です。ただちょっとわたし自身が複雑なだけで。あんまりひとに依存しないし、できれば依存したくないとおもっている。ドライな人間。たいせつな人もものも、できれば増えて欲しくない。わたしは自分を見失うのが怖いので、いつだって自分以外の何かに自分を揺さぶられたりすることを回避したがってる。だからできるだけ、依存したくないのだとおもう。でもね自分を守るためにそう言い聞かせているだけで、ほんとうは寂しくて手放しでひとに甘えたいともおもっている。きっとわたしがカウンセラーになる上で重要なのは、この両極端な面を持つ自分とどのように折り合いをつけていくかだろう。大学院2年間でわたしは、自分自身との問題とどれだけ向き合えるかが大事になってくる。苦しいけれど頑張ろう。