同じように流れている時の中で

ちょっとした情けないはなし。
最近ちょっとやばいなあって思う。自分の中でずっとずっと奥に仕舞い込んで、もう無いに等しいと思っていた感情が近頃はひょっこりと顔を出す。何度も何度も自分の中で確かめて、納得した答えを出したはずなのに、そんな答えを覆してしまうほど強度な感情がわたしのなかにまだあるってことに気付いた。なんにも無かったことにして、わたしはこれからあの人とは違う誰かと恋をしていくのだろうと思っていたのに、それすら出来ないかもしれないと思った。別に今は比較する対象もいないのだし、出会ってもいない未来のひとのことを心配したってしょうがないけれど、きっとわたしはこのままじゃ何も変わらない、そんな気がしている。

嫌いになりたいと思うし、いい加減解放されたいとも思う。わたしのことを思い切り傷付けて、二人の思い出全部捨ててしまいたくなるくらい嫌いにさせてくれたらいいのにって。あの人がくれた言葉を、どうしてこんなにも痛いくらい鮮明に覚えているのだろう。忘れてしまえたらきっとこんなにも固執することも無いのに。あの人がくれた優しい言葉を信じると痛い目見るって分かってるのに、今でも信じたい自分がいて、でもどうしようもなく絶望を感じている。ひとの気持ちは変わるものだ、ってあのひとを好きでいればいるほど裏切られた気持ちになって、問い質してやりたい気持ちになる。でも、その心の奥では、誰もが変わり得ることなのだから責めようがないという諦めの思いもあって、哀しくて哀しくて何処に怒りをぶつけたらいいか分からない。何回も何回も言った。言葉に責任を持たない人は嫌いだ、って。その度に、でも今はそう思ってるってことを強調するから、未来まで信じたくなってしまった。

あの人がわたしを忘れて行く時のなかで、わたしはどうして彼と同じ時間を同じように神様に与えてもらっているのに、想いは風化して行ってくれないのだろう。何で同じ時間を同じように生きているのに。もう「会いたい」って絶対に言わない。どんなにあの人を想って泣いても、連絡なんてしない。