レースカーテンの向こう側

ベランダに出る大きな窓の側にちょこんと座って見向きもしないわたしを気遣うように「ココアでも飲む?」と彼は言った。わたしは、わざと不機嫌そうな表情で「要らない」と言葉を投げ捨てた。ふう、と溜息をついた音が聞こえた。レースカーテンの向こう側には、青々とした空が広がっている。レースカーテン越しの世界。穏やかな午後になるはずだったが、彼のちょっとした一言にわたしはカチンと来てしまって、そこからは冷戦状態。本当に大したことのない、ちっぽけなことがきっかけ。「なんでそんな怒ってるの」と呆れた声で、ついに理由を聞いてきた彼に、わたしはどんな言葉で返したらいいか分からないでいた。「だって」、そんな子どもみたいなわたしの言い草に自分自身の方が呆れてしまう。彼の言い方が癪に触ったとか、そんなのは表面上の理由。ほんとうは、ただ単に構って欲しかった。
4週間ぶりに会ったのに、わたしに背を向けてパソコンをいじったり、いつだって読める小説を読み耽ったり、わたしのいない自分だけの世界に入り込む彼に腹が立った、ただそれだけ。だからこんなふうに、子どもみたいに頬を膨らました。会えない時間のつらさを、彼はどれくらい感じたのだろうか。わたしは、彼の感じる何倍も何十倍も寂しかった。会えるだけでしあわせだ、と思えていたあの頃の自分は、どれだけ純粋だったんだろうと思う。手が届かなくても、そこにいてくれたらいいと思っていた。手が届くようになってからはもっと触れたい、もっと一緒に時間を過ごしたいと欲が出てきて、そんな自分に嫌気が差す。ここにいてくれることが、何よりのしあわせなはずなのに。
彼が何か思いつたように、パタンと分厚い小説を閉じた。何だかとても難しそうな本。「ねえ、散歩にでもいこっか。手、繋いでさ」―――そうか、どうやらわたしの不満は丸分かりらしい。「…ずるい、そーゆーの」、つい本音が出てしまう。「ずるいかなあ。嬉しいくせに」とわたしの髪の毛を長い指を使って梳いた。意地悪な言葉と裏腹に髪を梳く指はあまりに穏やかで優しい。わたしは胸がいっぱいでそれ以上何も言えず、レースカーテンに視線を落とした。