アイスティー

「何か頼んだら、」と彼が言ったので、アイスティーを注文した。うっすら汗をかいているグラスにそっと視線を落とす。別に特別これと言って話したいことなんてなかった。離れているときは話したいことがたくさんあるような気がするのに、いざ本人を目の前にすると何も言葉が出て来なくて、そんな自分に驚く。沈黙は別に怖くない、から、彼の言葉を待つ。「そういえばさ、」と言って話し出した彼の話は取り留めのない内容で少し安心した。
出会った頃、目を合わせない人だと思っていたけれど、今ではわたしの方が彼の目をまっすぐ見ることができなくなっていることに気づく。ちら、っと目線を向けるとパチッと視線がぶつかって、わたしはすぐに目を反らした。目を見つめられると全てを悟られてしまうような気がして。そんなことをぼんやり考えていると「おい、聞いてる?」とふわっと笑いかけられ、尋常じゃなく心臓が鳴った。そんな自分を誤魔化すようにアイスティーのストローを無造作に掻き混ぜると氷がグラスにぶつかってカラン、と音がした。「お前、何赤くなってんの?」と少し意地の悪そうな声を出した彼に「なんでもない」ととっさに返したものの、動揺を隠せない声。彼は観察力が鋭いから、きっと何もかもお見通しだ。
グラスの中の氷も、いつの間にか原型がなくなるほど溶けてしまっていた。わたしみたい、とこころの奥で呟いた。溶けてしまったら、もう元には戻れない。彼はまるで何も気づいていないような顔で、コーヒーカップに口づけた。

最愛の人

現在好きな人に対して最愛の人、という表現をしたら友達に「それってすごく恥ずかしい響きだね」って笑われたことがすごく印象的。後からふと思い返したら確かに恥ずかしいことを平気で言っていたかもしれない。でも、最愛の人という表現がきっと一番適していると思う。最愛のひとが最愛のひとじゃなくなる日が、ほんとうは早くきて欲しい。

どちらかというと恋多き乙女だったわたしは、大学4年間で何人かの男の人をすきになった。どの恋愛のときも全力投球で、笑えるくらい一生懸命恋をした。大学2年生のはじめは、たいせつにしていた恋を失ったせいでふらふらしていた頃で、その頃のわたしは不安定だった。もちろん、最愛のひととはこの頃既に出会っていて、大きな存在であったのは今でもすごく覚えている。出会った頃から仲良くなるまでの過程、好きだと気付いた時期…じぶんにとってとても重要だからなのか、鮮明に覚えてる。

思い返してみると、どの恋愛も若気の至りと言えるようなもので、いまのひとを思う気持ちと比べてみたら全く別物だとおもう。10代と20代の恋なんてそんな変わらないだろうとおもうけれど、離れ離れになってしまったいま、もしも10代のわたしだったら好きという気持ちが距離に負けて、消え失せてしまうような気がする。でもいまは、むしろ消え失せてくれなくて困っている。離れたらどうでも良くなって、あのひとのことなんて思い出さずに前を向いていける気がしていたのに人生ってそんなに上手く行かないもの。依存はしなくなったし、思い出す時間は減ったけれど、好きという気持ちはこころのもっと奥に住みついて、当分は消えてはくれないことだけは分かる。

夏に、会う約束をした。詳しいことは決まってないけれど、早く会いたい。会いたい。

永遠の片思い

最近すきだなあっておもう、千葉にいるすきなひとのこと。別に連絡取ったわけじゃないけど、バイトに行くと思い出がいっぱいありすぎて無意識に思い出してる。メールしてみようかなって思って、結局できないまま終わる…というパターンばかりの毎日で、でも実際のところメールしたところで話したいことなんて何もない。きっと彼はじゃあなんでメールしてきたのって言うかもしれないけれど。繋がっていたいただそれだけ、なんて素直じゃないわたしは言えるはずないし、言ってもたぶんあのひとのことだから理解もしてくれない。

2年もずっとすきだったから、もしかしたらこのきもちが4年とか6年とか続いてしまうんじゃないかってこわい。不毛だってことはわかっているから、ほんとうはどーでも良くなりたいし、他の人を好きになりたい。結婚式のときに泣きたくない。どーせお前は泣くだろうって本人に言われたし、覚悟もしてる。永遠に手に入らないってことを突き付けられるその瞬間にわたしはきっと友人として出席しておめでとうって笑ってお酒を飲むしかできない。そのときまでに、こんないまを笑い話にできるようになっていればいいのにな。